松前にある分譲地、ガーデンビレッジ北川原に僕の原点があります。
あそこはひどい場所でね・・・
アルミのカーポートは付けちゃ駄目だし、塀を造るのも禁止。屋根瓦は同じ商品を使うしかないし、設計も僕以外は設計しちゃ駄目って・・・
ひどいでしょ?
自由設計の注文住宅なのに、工事させてもらうこっちが注文ばっかりしてますからね。あの分譲地のコンセプトは、
「資産価値の落ちない街づくり」
街並みの景観を統一させてもらって、道路に面した庭はパブリックな庭、裏庭はプライベト・・・間口の狭い区画割りをわざとして家を建てる場所まで決めちゃいましたから。土地の造成をする前にもう完成イメージができていました(笑
道路もまっすぐすれば安くつくものをわざわざウネウネさせて、もちろん電信柱も立ててません。電信柱の件は結構電力会社との交渉に時間がかかりました。何せ「前例がない」っていうのばっかりですから…当時はみんなから絶対こんなの売れないって言われました。だから絶対このコンセプトは松山で浸透させてやるって…
建物は当時流行りだしたプロバンス風。
瓦屋根に左官の塗り壁、基礎のコンクリートが見えるのが嫌で、基礎まで外壁と同じ色で仕上げています。もちろん古材も使ってるし、窓は樹脂サッシ、カナダの木製ドアや煉瓦積みなど今のスタンダードなデザインコンセプトが凝縮されてます。この分譲地ができたから、まさに今の自分がいるって感じです。
日本は先進国の中で住宅に関しては残念ながら一番貧しい?文化が無くなってしまったと思うんです。
1軒1軒の住宅のデザインはいいんだけど、こと街並みとなるととても見れない。電線が縦横矛盾に道路の上に渡されて、色とりどりのブロック塀や和風の家の隣に洋風の家…
もうハウスメーカーの展示場を歩いているみたい。
ちょっと残念なんですよね。
僕は資材を海外から直接輸入してるんですが、その取引をするためにカナダやオーストラリアに勉強に行ったんですが、向こうの街並みって質素ですが統一感があって綺麗なんですよね。
「景観、ランドスケープ」って感じ、感動と気づきがありました。
日本も昔は綺麗だったんですよね、京都とか…京都も最近は景観条例が厳しくなって、建物の高さ制限や看板などが規制されてますよね。たぶん大変だと思うのですが長い目で見るといい事だと思うんですよ。
家が綺麗で快適な事も当たり前に大切ですが、自分たちが住むコミュニティも綺麗だと、きっと豊かな生活ができる気がするんですよね。
デザインは僕の家作りにおいては重要なファクターですが、一番大切なのは耐久性。構造的な安定性、力学意的に一箇所にストレスが掛からないバランスと、耐久性の高い部材の使用により耐用年数の高い住宅は基本です。日本の住宅の平均寿命は25年と言われてますが、 100年ぐらい持つのは当たり前だと思います。わずか25年で壊してしまったら、ひょっとすると住宅ローンだけが残ってしまうなんて恐ろしいじゃないですか。
構造はしっかりしていて堅牢。工場生産品の床材などは、今までのリフォームを手がけてきた経験から極力使いたくないですね。新品の時が一番性能も良くって綺麗だけど、年数を経過していくうちに古くなる。でも自然素材なら年数が経つほどにそれは味わい深くなる。経年変化による美しさ、まさにPATINA(パティーナ)です。
そして長い期間住むわけですから住まい方、ライフスタイルに合わせた可変性、フレキシブルな対応ができる工夫も必要。間取りの変更や、設備機器の交換が簡単にできる。そして飽きがこないトラディショナルなデザインペーソスも大切だったりします。ポイントにカラフルな色を取り入れるのは斬新な雰囲気で目を引きますし、その部屋のイメージを印象付けるので大切ですが、あまり賑やか過ぎるのも・・・
逆に今流行のシンプルモダンも写真写りはいいんですけど、ちょっと寒々しい、家は眺めて暮らすものじゃないんで、家具が入ってそこで生活するわけですからその生活感をどうイマジネーションを高めて推理できるかがいいデザイナーの条件じゃないかなと思ったり、でも新しいお客様に来ていただくには家具の無い、おしゃれな空間でデザイン的にも完結させないといけない。難しいですね。
この仕事に限らず、人生いつまでも勉強必要ですよね、人と会って話すのも勉強ですし、本を読むのも、お客様とお話してて教えられるって事多いですよね。家の設計ってそのお客様の家族の人生に参加するってことですし、お客様の十年後、二十年後の未来を創造しながら提案しないといけない。それがプロの仕事。目先の事も大事だけど将来を見据えた視点でお客様の要望だったとしても、駄目なものは駄目って、はっきりと言える、本当の意味で信頼される家づくりのパートナーになるのが夢ですね。